三国故事・名言



やあ諸君。本編ではまったく活躍する機会が無かった
黄巾賊NO.3の張梁だ。ここは三国志に関係する故事や
名言のコーナーだ。顔アイコンは関連人物だ








悪、小なるも為すことなかれ
(あく、しょうなるもなすことなかれ)


【意味】
「善、小なるも為さざることなかれ」と続く。悪事はどんなに小さくても
してはならず、善行はどんなに小さくともしなければならないという意味


【逸話】
劉備が死の間際、息子・劉禅を戒めるために使った言葉。





疎きは親しきを間てず
(うときはしたしきをへだてず)


【意味】
親密な間柄なものに部外者は口をださないという意味


【逸話】
劉表の息子の劉gが「後継者問題の騒乱でこのままでは私は、
継母に殺されてしまいます。何か知恵を貸してください」と孔明に助言を
求めたが孔明はこう言って断った。すると劉gは「ならここで死んで
やる!」と泣きながら暴れたので孔明は「ウゼぇなあ、この人・・」と
思いながらも嫌々、劉gにアドバイスをして助けてあげた。





燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
(えんじゃくいずくんぞこうこくのしをしらんや)


【意味】
出展:「史記」
小人に大人の考えは理解できないという意味


【逸話】
董卓の暗殺に失敗した曹操は逃亡の途中、県令をしていた陳宮に捕らえられた。
陳宮は曹操に「董卓に仕えれば貴方は出世できたのに何故、董卓を裏切ったのか
理解できないと兵士達が言っています」と質問した。すると曹操はこの言葉を
叫んだ後「董卓のような逆賊に手を貸すような真似は天地が逆さになっても
ありえません」と答えた。陳宮はこの言葉に感動し、職を辞して曹操に仕えた。
だが「雀」の陳宮は結局、曹操の考えが理解できず、後に曹操の下から去った。






画餅
(がべい)


【意味】
「絵に描いた餅」、意味の無いもの、無価値なものの意味


【逸話】
「優秀な人材を集めよ。ただし評判が良いだけのものはいらない。
彼らは画餅のようなもので何の役にも立たない」という曹丕の
人材登用の哲学から。







危急存亡の秋
(ききゅうそんぼうのとき)


【意味】
危険が迫り、生きるか死ぬかの瀬戸際のこと


【逸話】
諸葛亮が「前出師表」の中に書き記した一文。「時」では無く「秋」に
なっているのは秋は収穫の時期=一年で最も大切な時期を意味してのこと。
この言葉が記された「前出師表」はこれを読んで泣かない漢はいないと
謳われた名文。読んで一粒の涙もこぼれなかった猫呂布はたぶん漢では
ないのだろう。






臥竜鳳雛
(がりょうほうすう)


【意味】
諸葛亮(臥竜)とホウ統(鳳雛)のこと


【逸話】
劉備が荊州の大学者・司馬徽とあった際、司馬徽が、「伏竜か鳳雛、どちらか
得れば天下取れる」と劉備に語った言葉に由来。その後、劉備は諸葛亮と
ホウ統の二人を手に入れたが結局、天下を取ることは出来なかった。






帰師おおう勿れ窮寇追う莫れ
  (きしおおうなかれ、きゅうこうおうなかれ)


【意味】
出展:「孫子」
国に帰ろうとする敵や追い詰められた敵は死に物狂いで
戦うので安易に攻撃するのは危険という意味


【逸話】
馬謖の致命的な失敗で街亭を奪われ、撤退することになった蜀軍。
魏の武将はここぞとばかり追撃をしようとしたが、司馬懿はこの故事を
用いて慎重に、ゆっくりと蜀軍を追撃した。結果、慎重になりすぎて
蜀軍を殆ど逃がしてしまった。慎重になりすぎるのもいけない。






兄弟は手足の如く妻子は衣服の如し
(きょうだいはてあしのごとく、さいしはいふくのごとし)


【意味】
妻子はいつでも手に入る服のようなものだが、兄弟は
手足と同じで失ったら二度と戻らない大切なものだという意味


【逸話】
徐州の城を不注意(泥酔して気持ちよく寝ていた)で呂布に奪われた
張飛に劉備が優しく語りかけた言葉。張飛や部下を感動させたが、
何時捨てられるともわからない劉備の家族は「ちっとは家族を
大切にしろ!この野郎!」と憤激したとかしないとか。






苦肉の策
(くにくのさく)


【意味】
1:自らの身を犠牲にして相手を騙すこと
2:苦し紛れの計略


【逸話】
三国志では赤壁の戦いの際、老将・黄蓋が曹操に偽りの投降をするため
司令官・周瑜とともに案じた策を指す。黄蓋は周瑜に反抗したという理由で
皆の前で百叩きの罰を受けた。これは黄蓋が曹操に近づくため周瑜と黄蓋で
うった芝居である。この計は成功し、赤壁の戦いで呉は歴史的大勝利を収めた。
それにしても叩きすぎではないだろうか、という疑問は残る。






鶏肋
(けいろく)


【意味】
鶏の肋骨は肉は少ないが捨てるには惜しい味があるという意味
転じて役に立たないが捨てるには惜しいものの意味


【逸話】
漢中をめぐり劉備と熾烈な戦いを繰り広げる曹操。劉備軍の固い守りを崩せず
戦果を挙げることができなかった。軍を率いた以上はおめおめと逃げ帰るには
いかない曹操は「漢中は鶏肋のようなものだ」と呟き悩んだ。






事を謀るは人に在り、事を成すには天に在り
  (ことをはかるはひとにあり、ことをなすはてんにあり)


【意味】
作戦を考え、実行するまでは人間のすることだが、結果は
天が決めることで人智の及ぶところではないという意味


【逸話】
北伐の際の出来事。孔明は最大の敵である司馬懿(と味方だが危険人物の魏延)を
爆殺しようと企みた。孔明は司馬懿を火薬を敷き詰めた谷に誘い込み火を点けた。
司馬懿(と魏延)を爆殺寸前まで追い詰めたが、突然の豪雨で作戦は失敗。
「司馬懿は無理でもせめて魏延だけは消したかった・・」孔明は天を仰ぎ、
この言葉を呟いた。






虎穴に入らずんば虎子を得ず
(こけつにいらずんばこじをえず)


【意味】
出典:「後漢書」
危険を冒さなければ成功を収めることはできないという意味


【逸話】呉の名将・呂蒙は15歳のときに賊討伐に向かう
義兄の軍にこっそり参加して見事に賊を打取って帰宅した。呂蒙の母は
呂蒙を心配し、以後は大人しくしてくれと頼んだが、呂蒙は「貧しいものが
成り上がるためには虎穴に〜」と母に言い放った。この言葉を聞いた呂蒙の
母は呂蒙の覚悟を知り、涙を流したという。







呉下の阿蒙
(ごかのあもう)


【意味】
1:学問のない人のこと
2:いつまでも進歩のない人の意味


【逸話】
呉の魯粛が久しぶりに呂蒙に会い、話をしたときの話。毎日、喧嘩に明け暮れ
足し算もまともにできなかった暴れん坊の呂蒙が、なんと魯粛に掛け算の
やり方を教えてくれるというではないか。魯粛はとても感激し「もはや君は
呉下の阿蒙(昔のようなお馬鹿さん)ではないな」と呂蒙を褒め称えた。
すると呂蒙は「そうなのです。し、わかれてみっか、すなわちかつもくして
みよです。もう6のだんまでかんぺきなのです」と自らの進歩を魯粛に
見せ付けた。魯粛はこの言葉に感動し、自分の後任として呂蒙を孫権に
推薦した。






琥珀は腐芥を取らず
(こはくはふかいをとらず)


【意味】
虞翻が自らを評した言葉


【逸話】
「琥珀は腐朽した芥を寄せ付けません。それと同じく清廉潔白な人間は
不正な品を受け付けません。私はそういう人間です」と言い賄賂を拒否し、
自らを高く持した。立派だが嫌味なお言葉である。






恨石、十文字石
(こんせき、じゅうもんじせき)


【意味】
諺や故事ではなく呉のお寺にあった石のこと


【逸話】
婚礼のために呉を訪れた劉備。酔った勢いで寺にある石に「我が覇業が成るならば、
まっ二つにな〜れ!」と斬りつけた。すると石は二つに斬れた。それを見た
孫権が「私もやってみましょう」と石に斬りつけた。すると再び石は斬れ、
十字の傷が出来たというわけのわからない逸話からこの故事は生まれた。






至弱をもって至強にあたる
(しじゃくをもってしきょうにあたる)


【意味】
荀ケが曹操を励ました言葉


【逸話】
200年、中原の覇権を争い官渡で対峙した曹操軍と袁紹軍。袁紹軍は曹操軍の
十倍以上の兵力を有していた。戦いは袁紹軍有利に進みさすがの曹操も気弱に
なったのか都を守る荀ケに「撤退したほうがいいかな(´・ω・`)」と手紙を出した。
すると荀ケから「殿は今、まさに至弱をもって至強にあたるという状況です。
しかし、もう少し耐えてください。必ず天は殿に味方します。 荀ケd(ゝω・`)」
と励ましの手紙が届いた。この後、曹操軍は奇跡的に袁紹軍を撃破した。







七縦七檎
(しちしょうしちきん)


【意味】
七回捕まえて七回放すという意味


【逸話】
『演義』で諸葛亮が孟獲を七回捕らえ、七回釈放し、孟獲を心服させた
話から生まれた故事。馬謖の「兵法の極意は心を攻めるを上とし、城を
攻めるを下とします」という言葉に影響を受けている。






七歩の才
(しちほのさい)



【意味】
優れた詩文の才があること
またその創作が非常に早いこと


【逸話】
曹丕は後継者問題で自分と争った曹植が気に入らなかった。曹植の才能を
評価するものも多かったため曹丕はそれを危険視し、曹植を殺害しようとした。
曹丕は曹植を自分のもとに呼び出し「お前は詩の才能があると聞く、七歩、歩く
までに二匹の牛の格闘を題材に誌を作れ。無理なら殺す」と無茶を言った。すると
曹植は七歩の間に難なく詩をつくった。焦った曹丕は「次は兄弟を題材に即座に
詩を作れ」と言うと曹植は「豆ガラで豆を煮る〜」と一瞬で見事な詩を作り、曹丕を
感動させた。曹植は処刑を免れた。






十なれば囲み、五なら攻める
(じゅうなればかこみ、ごならせめる)


【意味】
出展:『孫子』
敵の十倍の兵力を持つときは戦わず囲み、
数が同等の時にはじめて戦えという意味


【逸話】
官渡の戦いで曹操軍と対峙した袁紹軍は曹操軍の十倍以上の兵力を有していた。
そのため軍師の郭図と審配はこの言葉を用いて袁紹に持久戦を進言した。






子龍、一身全てこれ肝なり
(しりゅう、いっしんすべてこれたんなり)


【意味】
何事にも動じない豪胆な趙雲を劉備が褒め称えた言葉


【逸話】
趙雲が曹操の大軍を相手にしたときの話。曹操の大軍に対し趙雲の軍は
僅かだった。趙雲は自陣に戻ると全ての門を開き、旗を隠した。そして
趙雲は単騎で陣の前に立ち、曹操軍を睨みつけた。曹操軍は伏兵を警戒して
退却しようとした。それを見て趙雲は僅かな手勢を持って追撃、大勝利を
収めた。翌日、趙雲の活躍を聞いた劉備は「まさに子龍、一身全て〜」と
趙雲の豪胆を褒め称えた







士、別れて三日、即ち刮目して相待つべし
(し、わかれてみっか、すなわちかつもくしてあいまつべし)


【意味】
優れたものは僅かな時間で大きく成長する可能性があるので
対峙した際は目を大きくして見よ(よく観察せよ)という意味


【逸話】
ある日のこと孫権に「将たるものが馬鹿ではいかん」と呂蒙は怒られた。
これを機に呂蒙は猛勉強をした。この噂を聞いた魯粛が呂蒙に会いに行った
呂蒙は以前とは見違えるほど頭が良くなっており、何を聞いてもよどみなく
答え、しばしば魯粛を感嘆させた。魯粛は「もう君は呉下の阿蒙ではないな」と
呂蒙に言うと、呂蒙は「士、別れて〜」と呂蒙に言った。魯粛は呂蒙の成長に
感動し、呂蒙を自分の後任として孫権に推薦した。

⇒関連【呉下の阿蒙】






三顧の礼
(さんこのれい)


【意味】
地位ある人や目上の人が仕事を引き受けてもらうため
何度も足を運び礼を尽くし頼み込むこと


【逸話】
諸葛亮孔明の噂を聞いた劉備は関羽、張飛を連れ孔明の家を訪ねる。しかし孔明は留守。
別の日に訪れるも留守、そこで劉備は「ずっと好きでした。だから僕の軍師になって」と
手紙を残し帰宅。訪問三回目にしてやっと孔明に会えた劉備は孔明を必死に説得。
孔明はこの劉備の態度に感服し、劉備に仕えた。ちなみに三国志には劉備・諸葛亮の
話以外にも孫策と二張など三顧の礼的な逸話は多い。が、それが語られることは少ない。






死せる孔明生ける仲達を走らす
(しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらす)


【意味】
死後も生きている人を恐れさせるほどの
影響力を持つ人や物の意味


【逸話】
北伐の最中、五丈原で孔明が病死してしまった蜀軍。魏に孔明の死を気付かれる前に
撤退することに。しかし、孔明の死を悟った司馬懿は逃げる蜀軍をここぞとばかりに
追いかけた。逃げる蜀軍に追いついた瞬間。何と死んだはずの孔明が蜀軍の中に
いるではないか。これは生前に孔明が用意した「1/1諸葛孔明木造(定価1200銭)」
だった。これを見て司馬懿は仰天。「げえっ孔明!生きていやがった!」と
慌てて退却。部下に「ワシの首は付いているか?」と聞いたほど恐怖したといわれ
この部下の内部告発からこの故事が生まれた。






白波
(しらなみ)


【意味】
盗賊のこと


【逸話】
黄巾賊の残党が白波谷という谷に籠って
掠奪をしたことに由来する。






人中の呂布、馬中の赤兎
(じんちゅうのりょふ、ばちゅうのせきと)


【意味】
呂布の武勇と赤兎馬の素晴らしさを褒め称えた言葉


【逸話】
天下無双の武神・呂布と稀代の名馬・赤兎馬を称えた言葉。






水魚の交わり
(すいぎょのまじわり)


【意味】
深く離れがたい友情や交際のこと


【逸話】
諸葛亮を軍師に迎えた劉備は連日、諸葛亮との談義に時間を費やした。張飛と関羽は
諸葛亮に嫉妬し「あの軍師とあたしたちどっちが大事!?」と劉備に迫った。すると
劉備は「孔明(諸葛亮)を得たのは魚が水を得たようなものだ」と言い放った。
このあと関羽は諸葛亮を「この泥棒猫!」と罵り、張飛は諸葛亮を「このボルビック!
天然水!」と罵ったといわれる。









まだ進軍!
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