関羽 雲長(?〜219)
役職 前将軍(五虎将)
武力 ■■■■■■■■■ A(97)
知力 ■■■■■■ C(65)
統率 ■■■■■■■■ B(86)



名前の読み方は「かんう うんちょう」。劉備の義弟。現在は神格化されており
出生、生い立ちにも様々な伝説がある。身長8尺、髯は女子の髪のように美しく
その長さが2尺もあったことから「美髯公」と呼ばれた。重さ82斤(約20kg)の
青龍偃月刀を愛用し万人に匹敵するといわれた。自分の上に立つのは劉備だけと
いう考えから、目上の人間にも滅多なことでは頭を下げなかった。


曹操軍の猛攻から劉備の家族を守るため一時的に曹操に降伏したことがある。
しかしその際も劉備のことを忘れず、曹操から貰った宝物も劉備のもとに帰る時に
全て返して去り曹操を感服させた。(しかし赤兎馬だけは持ち帰った)


劉備から全幅の信頼を置かれ荊州の守りを任されていたが、呉の呂蒙、陸遜の
計略にかかり、息子の関平らとともに処刑された。この後、関羽の首は曹操の
もとに送られた。この時、曹操が首だけになった関羽に「雲長殿、ご機嫌いかが
かな?」と言ったところ関羽の首は大きく目を見開き睨みつけ曹操を驚かせたと
いう話が残っており、曹操は関羽の首を手厚く葬っている。





⇒戻る